寝てるなあそべ

地方公立高校〜東大〜地方銀行 30歳 の自分が社会人8年間で気付いたことを書いていきます。

地方公立高校から東大に行った話② 〜浪人時代 前半〜

 地方公立高校から東大に行った話の2回目です。

高3の夏に勉強しなかった結果、東大はおろかどこにも合格しなかった私は

予備校に進学?することに…

今回は浪人時代のことをお話します。

 

 

1.予備校選び

大手予備校3社を調べた結果

S予備校→国公立に強い

Y予備校→私大に強い

K予備校→両者の中間(国立私立どちらも対応可能)

 

という印象。国立を目指すのでS予備校を選択しました。

(当時はT進の先生方は今ほどメディアに登場しておらず、自分の周りに通っている人もいなかったことからT進は候補に入りませんでした。)

 

通ったのは御茶ノ水校です。

・東大専門校舎を謳っていたこと

・都内の名だたる高校の方々と一緒に勉強できる環境であること

が校舎選びの決め手でした。

 

2.浪人時代に心がけたこと

3つのことを自分の中でルール化しました。

①友達は作らない(当然彼女も)

②行き帰りの電車では必ず何か勉強する

③極力毎日21時まで自習室で勉強する

 

②・③は受験生みんな同じかと思います。

(電車内では主に英単語をやってました)

 

①は高3のときの反省を踏まえてのことです。

「失恋して勉強できなかった」だけではなく

「秋以降に思うように模試の結果が上がらない」

ことから目をそらすために高校時代は放課後に廊下で友達と1時間以上も話してしまうことがありました。

 

現役で合格していった同級生たちは私が雑談している間も黙々と勉強しており、

彼らの姿勢を見習い、勉強に注ぐ時間を最大化するため友達は作らないことに決めました。(この1年は誰ともメアド交換しませんでした。当時はスマホはなくLINEもまだありません笑)

 

3.浪人時代前半(4〜8月)

丸1年勉強するんだから東大文一だってA判定取れるようになるだろ!

という意気込みでスタート(私は文系です)

浪人初期〜8月頃まではモチベーションも高く、A判定取るつもりで勉強してました。

 

模試でも、東大はC判定くらいだったと思います。

(ただしこの頃の浪人生は地歴を一度仕上げている分、現役生に比べてアドバンテージがあると思います。大事なのは判定ではなく、国・英・数3科目の偏差値だと思います。)

(ちなみに文一A判定は最後まで取れませんでした。一番良かったときで文三ギリギリB判定)

 

4.浪人時代中盤(9〜11月)

前半でモチベーション高く頑張ったのですが、、、秋以降の模試は芳しく無く…

 

このまま東大目指してて大丈夫なのか

また現役のときのように全滅しないだろうか

大受験は諦めて私大にしぼって勉強した方が勉強する科目も少ないし、確実に早慶に入れるんじゃないだろうか…

 

などの不安が頭をよぎり……

 

予備校の担任の先生との面談で

 

「東大やめようと思います」

 

と発言。

 

東大は諦めて慶応法学部に切り替えようと思ってました。

10月頃だったと思います。

東大を諦める一番の原因は「数学の苦手」でした。

考えても分からない。どう勉強したら解けるようになるのか道筋がつかめずにいました。

 

担任の先生からは

「数学が苦手でも、国・英・社の3科目で勝負して合格してる人もいる」

「数学は部分点狙いにして、他の3科目で頑張ればいいのではないか」

 

とアドバイスをいただきました。

 

それ以降、東大二次試験でしか使わない数学と地理は勉強の比率を落とし、

私大でも使用する国・英・世界史を中心に勉強するようになりました。

 

私大に専念するのか決めきれず迷走気味になり

モチベーションは明らかに下がっていました。